さて、こちらは何の画像か、お分かりだろうか。
青い背景に黄色、黄土色、白、緑など、様々な色がちりばめられた、抽象的なモザイク画。
実はこれ、ゴッホの『夜のカフェテラス(Terrasse du café le soir)』を50×50pxのドット絵キャンバスに落とし込んだもの(画像は21×24)だ。
px数を制限することで、画面の奥行きは平面的になり、各モチーフの輪郭線が省略され、まるでモザイク画のようになる。
しかし一方で一見全体が青く見える夜空や、カフェテラスの黄色い光のなかに配置された複雑な色使いは、ドット絵でも確認できる。
・ゴッホ『夜のカフェテラス』鑑賞:繊細な色使いと力強い筆遣いのもたらす視認性
では、ピクセレート化することで、絵画の表現にはどのような変化が現れるのだろうか。
ここでは特に、「視認性」という観点から作品を鑑賞、また上記の問題について検証してみようと思う。
まずは、ピクセレート化する前の『夜のカフェテラス』にもう一度着目してみよう。
画面内のモチーフは概ね、「カフェテラス」「夜空」「テラス前の往来」に大別できる。
カフェテラスは「黄色」だ。店の大きなガラス窓からは煌々と黄色い光があふれ、店内の客こそ見えないが賑わっているらしい雰囲気が伝わってくる。テーブルが並び、ウェイターらしき人物が確認できるテラス席の床は鮮やかなオレンジに彩られ、これも夜の町にまぶしい。
一方、夜空は「青色」だ。ペールブルーから濃紺まで入り交じるグラデーションを帯びながら、こちらも淡い黄色や白の星を瞬かせている。
テラス前の往来は、石畳の凹凸が、これも黄色の光を静かに反射しながら、濃紺に染まる画面の後方に延びる。
こうしたモチーフそれぞれの色は画面内で調和し、引きで見れば「黄色」と「青」のコントラストの美しさが視線を集める作品となっている。
これらのモチーフひとつひとつに目をやると、一見すれば「青」、「黄色」の2色が画面全体の支配的な色になっているように見えていても、実は細部に至るまで繊細で複雑な書き込みがされていることに気がつくだろう。
また、モチーフの筆遣いを見ても、ゴッホらしい、まるで彫刻刀で削り出した彫り跡のような一種荒々しくみえる筆遣いのおかげで、それぞれの輪郭はくっきりと鮮明に浮かび上がっている。
こうした深みのある色彩とタッチにより、アルルの地の、ガス灯またたくテラス席と往来の雰囲気をしっかりと伝える視認性を生み出している
と言えるだろう。・低ピクセル数化によって変化する「視認性」
ここで下の画像をもう一度見てみよう。ドット絵化したことで視認性はどのように変化したのだろうか。
まず、はっきりと分かるのはモチーフの輪郭線が省略されていることだ。無論50×50pxのキャンバスには原画の膨大な情報量は収まりきらず、色数もかなりふるい落とされている。このように具体的な輪郭線が省略されたことで、抽象的なモザイク画のように見える。
したがってオリジナルにあるような、モチーフの明確な形状は見て取ることができない。このドット絵だけでは、元の絵が『夜のカフェテラス』だと認識することはかなり難しいだろう。
では、ピクセレート化によりこの絵の視認性は失われてしまったのだろうか。
確かに、モチーフを判別できない、という点では視認性が低下したと言えるだろう。
しかし色彩について再び焦点を当ててみると、単純化はされていながらもその複雑性は失われていない。
無論、色の再現性は画像を読み込むツールにも依拠するところはあるが、それでも同じ「黄色」や「青色」の中にも、実は各セルごとに異なる色味が使用されていることが見て取れる。
また画面下部、石畳の部分においては、ひとつとして同じ色は現れていない。全く異なる色味が隣接することで、味わいが生まれている。
石畳の部分
検証の結論として、ドット絵・低ピクセル化によってモチーフの具体性は失われる。しかし、それゆえに「これは何の絵なのだろう」と探究心を刺激されながら鑑賞する体験が提供され、鑑賞者の脳内で想像力を駆使し、様々なイメージが生成されるという意味ではむしろ原画を眺める以上に具体的概念が与えられていると言えるだろう。
また、色使いを見ても、原画を一瞥しただけでは漠然と「青」「黄」として認識されるだけの画面が、複数の色によって構成され、それが奥深さを醸し出していることに気づかされる。
したがって、「ドット絵は原画以上に優れる」とは言わないものの、原画に対する新しい気づきと鑑賞体験を与えるという可能性が見出される。
そうした観点から、ドット絵と原画、両方をより楽しむことにもつながるだろう。
参考文献 最終閲覧:21.Sept.9th
Google Arts&Culture