前回(ピクセレートで遊んでみる①)に引き続き、具象画のピクセレート化について議論する。
さて、まずはこちらの絵を見て欲しい。
上はとある画像をピクセレート化したものだ。概ね黄色〜オレンジのドットで構成された画像だが、いったい何を表したものか、分かるだろうか。
まるで、オレンジ色の十字架のように見えるこちらの画像だが、あなたの目にはどのように映っただろうか?
続いてはこちら。
ここまでのピクセル数になると、大体の形が見えてくるはずだ。いかにもドット絵らしいセルの形状を保ちながら、果物の輪切りと、何らかの植物らしきシルエットが確認できる。
これら2点の絵は、どちらも拙作"Chanson D'automne"より"Bouquet D'e'te'"をピクセレート化したものだ。
"Bouquet D'e'te'"
前回の記事では、ドット絵化することで与えられる、具体から抽象の変化と視認性の変化について論じた。今回は同じくピクセレート化した画像から、具象と概念(concept)の境界線を探る。我々の認識はどの段階で、具象物を概念として捉えるのだろうか?
①具体的イメージから捉える概念
さて、もう一度拙作を見て欲しい。
並ぶモチーフはオレンジとレモンの輪切り、果物、2本のセージだ。これを眺めたとき、あなたの頭の中には、これまで見たことのあるドライオレンジやハーブの具体的なイメージが思い浮かぶことだろう。筆者も同様に、リアルな像を求めつつ感性にしたがって描いたのだが、
これには実物のモデルは存在しない。
実在のモデルなしにイメージだけで絵を描いた経験があれば誰でも、この一種矛盾した事実に直面するはずだ。あなたの脳内には確かに、これまで見たことのある実物を思い浮かべているが、キャンバスに現れるそれは現実のもののいずれとも一致しない。
つまりは、自己の内面にある「概念」をキャンバス上に構成しているのだ。
また、これを鑑賞する側もまた、自身の概念を無意識に引き出し、それと照らし合わせて鑑賞している。
ごく自然かつ、当たり前に行われる創作と鑑賞という行為だが、そこにはあらゆるイメージから特徴を引き出し、整理し、ひとつのイメージに引き結ぶという高度な脳の機能が働いている。
すなわち、具象画を描く時点ですでに我々は概念に触れている。
②コンセプチュアル・アートの概要
さて、拙作の説明に入る前に、アート界隈における「概念」、つまり「コンセプチュアル・アート」と呼ばれるものの概要を整理しておこう。
そもそも「コンセプチュアル・アート」という用語を生んだのは、1961年のヘンリー・フリントが初めとされる(
沢山)。前衛芸術から派生したこのスタイルを実際にアート作品として確立させたのが、「泉」などの作品で知られるマルセル・デュシャンである。「概念芸術」と訳されるとおり、概念や観念そのもの(=concept)をアートだとしたものがコンセプチュアル・アートと称される。
『
アートペディア(2020年5月)』によれば、コンセプチュアル・アートは鑑賞者が事物を「これはアートだ」という観念を持って鑑賞することで成り立つものだとされる。そのため、従来、作家自身が自らの手で作品を生み出す必要はなくなり、「既にあるもの」=既製品をそのままを提示するだけで「アート」とするスタイルが生まれた。デュシャンは既製品に鑑賞者の興味を引くようなタイトルを付けることで、鑑賞体験が生まれると述べている。
I was interested in ideas—not merely in visual products.(私はアイディアにこそ興味を抱いたのだー「目に見える」作品ではなくね。)
ーーデュシャン、MoMA Learningより
③ Chanson D'automneで探る具象と概念の境界
以上から、コンセプチュアル・アートの定義としては
・既製品を使用していること
・鑑賞者の観念、概念を伴うこと
だと言える。以下からはそれを念頭に起きながら、拙作を紹介・解説していく。
さて、再度こちらの絵を見て欲しい。
導入で述べたように、これはオレンジとセージ、そしてベリーをドット絵によって表した作品だ。前回の記事で論じたように、ドット絵にすることで具体的な輪郭線が失われ、モチーフは抽象化されている。まずは「抽象画」として機能しているということだ。
次に、これはコンセプチュアル・アートとしても存在している。上記の定義に照らし合わせれば、
・既製品を使用していること:筆者の作品"Bouquet D'e'te'"をピクセレート化フィルターにかけ、いわゆるドット絵に作ったものである。ここで、既製品をアートとして提示するというプロセスが完了している。
・鑑賞者の観念、概念を伴うこと:抽象化され、モチーフのシルエットは判別できない作品に『オレンジと2本のセージ、ベリー』という表題を付けることで、各鑑賞者の持ちうる「オレンジ」や「ドライセージ」、「ベリー」という概念を引き出す。実際には「複数のセルの羅列」であるこの画像を、鑑賞者は「これはオレンジなどを描いたアートである」という観念を持って鑑賞することになる。
また、そもそも各鑑賞者の抱くイメージは全て異なり、テレパシーでもなければ完全に同一のイメージを持つことは不可能だ。オレンジの絵ひとつ取っても鑑賞者の数だけ多面的に、曖昧になる様を、シルエットが不鮮明なドット絵というかたちで表した。
結論:ドット絵化で得られる具象と概念の境界とは?
冒頭の「我々の認識はどの段階で、具象物を概念として捉えるのだろうか?」という疑問に答えを与えるならば、「鑑賞した時点で概念・観念を通して作品を捉えるため、実際にはほぼ無段階である」ということになろう。もしくは、かなり緩やかに、明白な境界などなく実物と概念の間を行き来しうるものだ、とも言える。
また、ある作品をドット絵化することは、このように鑑賞者の概念を引き出す道具、ないしは演出になるという可能性も見えてくる。前回述べた「抽象化」という機能に加え、「概念化」という機能もまたドット絵はもたらすといえるだろう。
あなたには、どんなオレンジが見えるだろうか?
参考文献 最終閲覧:21/9/10