個展=個人の展覧会。
孤展=ひとりでやる展覧会。
COTEN=コミュニケーション+展覧会。
筆者が現在追及している、ピクセルアートの新しいスタイル「Pixeloil」を紹介する、ワンマン展示。「Communication」と「Tenrankai」を融合させ、オンラインのVRスペースという場で作品を展示すると同時に、訪問者との交流を深める機会とする。なお「展覧会」とはいいながら、常設展示的のように恒久的な展示とする。
目下鋭意制作中
詳細は後日追記予定
個展=個人の展覧会。
孤展=ひとりでやる展覧会。
COTEN=コミュニケーション+展覧会。
筆者が現在追及している、ピクセルアートの新しいスタイル「Pixeloil」を紹介する、ワンマン展示。「Communication」と「Tenrankai」を融合させ、オンラインのVRスペースという場で作品を展示すると同時に、訪問者との交流を深める機会とする。なお「展覧会」とはいいながら、常設展示的のように恒久的な展示とする。
目下鋭意制作中
詳細は後日追記予定
個展=個人の展覧会。
孤展=ひとりでやる展覧会。
COTEN=コミュニケーション+展覧会。
VRスペースを用い、資金、場所、時間といった制約に縛られず訪問者とのコミュニケーションの機会を得る。
この記事では、上で紹介した筆者独自の個展となる「COTEN」を例に、VRで自分の作品を展示することのメリットについて紹介する。
どの作家も直面する問題だろうが、自分の絵を「売る」ためにはまず知名度を上げなくてはならない。SNSや自分のwebサイトで宣伝することも重要だが、知名度アップの方法でより有効なのは、「ギャラリーに売り込むこと」と「個展を開催すること」だろう。
しかし、この二つは以下の点でやや敷居が高い。
・資金が必要:ギャラリーではスペースの賃貸料や出展料がかかる場合もあり、またフライヤーなどの宣伝費、展示のための額縁・機材のレンタル・購入費、物理的な作品であれば配送費、さらにスタッフを雇う場合は人件費など、導入するヒトとモノの規模にもよるが最低でも数万〜数十万円必要となる。
・場所が必要:今回のコロナ禍ではとりわけそうであるように、ギャラリーは必ずしも希望する場所を確保できるとは限らない。また、時間も重要なポイントで、開催時期を前もって決定し、逆算してスペースを予約して押さえておかなければならない。作品が季節感のあるものならば、その時節に合わせて確保が必要となる。
・人脈が必要:ギャラリーへの売り込みも、個展開催も、いわゆる「コネ」があれば会場の確保から展示、さらには宣伝等についても比較的クリアしやすいだろう。しかし、自分ひとりで搬送から展示、また片付けに至るまで行うとしても、効果的かつ魅力的なインスタレーションのためには、アートディレクターや学芸員など専門家の力を借りることが必要となってくる。
また、展示だけでなく物販も行う場合はショップスタッフの人件費捻出も加味しなければならない。
このように、個展は文字通り「個人の展覧会」とはいいながら、要求される要素と手間は膨大なものとなり、特にアート業界に入ったばかりのアマチュアアーティストなら手が出しにくいものとなってしまう。
「展示会出展にかかる費用はどのくらい?出展料・ブース装飾費用の相場とコスト調整法を解説!」株式会社フレッシュタウン, 2021.9.16. https://www.freshtown.co.jp/useful_info/exhibition-cost/
「シンプルな疑問。個展ってぜんぶ自費なの?おもな費用はどういうもの?」一瀬大智、トロイの絵筆、2021.1.18. https://art-daichi.com/soloexcost/
前回(ピクセレートで遊んでみる①)に引き続き、具象画のピクセレート化について議論する。
さて、まずはこちらの絵を見て欲しい。
I was interested in ideas—not merely in visual products.(私はアイディアにこそ興味を抱いたのだー「目に見える」作品ではなくね。)
ーーデュシャン、MoMA Learningより
③ Chanson D'automneで探る具象と概念の境界
以上から、コンセプチュアル・アートの定義としては
・既製品を使用していること
・鑑賞者の観念、概念を伴うこと
だと言える。以下からはそれを念頭に起きながら、拙作を紹介・解説していく。
さて、再度こちらの絵を見て欲しい。
導入で述べたように、これはオレンジとセージ、そしてベリーをドット絵によって表した作品だ。前回の記事で論じたように、ドット絵にすることで具体的な輪郭線が失われ、モチーフは抽象化されている。まずは「抽象画」として機能しているということだ。
次に、これはコンセプチュアル・アートとしても存在している。上記の定義に照らし合わせれば、
・既製品を使用していること:筆者の作品"Bouquet D'e'te'"をピクセレート化フィルターにかけ、いわゆるドット絵に作ったものである。ここで、既製品をアートとして提示するというプロセスが完了している。
・鑑賞者の観念、概念を伴うこと:抽象化され、モチーフのシルエットは判別できない作品に『オレンジと2本のセージ、ベリー』という表題を付けることで、各鑑賞者の持ちうる「オレンジ」や「ドライセージ」、「ベリー」という概念を引き出す。実際には「複数のセルの羅列」であるこの画像を、鑑賞者は「これはオレンジなどを描いたアートである」という観念を持って鑑賞することになる。
また、そもそも各鑑賞者の抱くイメージは全て異なり、テレパシーでもなければ完全に同一のイメージを持つことは不可能だ。オレンジの絵ひとつ取っても鑑賞者の数だけ多面的に、曖昧になる様を、シルエットが不鮮明なドット絵というかたちで表した。
さて、こちらは何の画像か、お分かりだろうか。
青い背景に黄色、黄土色、白、緑など、様々な色がちりばめられた、抽象的なモザイク画。
実はこれ、ゴッホの『夜のカフェテラス(Terrasse du café le soir)』を50×50pxのドット絵キャンバスに落とし込んだもの(画像は21×24)だ。
px数を制限することで、画面の奥行きは平面的になり、各モチーフの輪郭線が省略され、まるでモザイク画のようになる。
しかし一方で一見全体が青く見える夜空や、カフェテラスの黄色い光のなかに配置された複雑な色使いは、ドット絵でも確認できる。
では、ピクセレート化することで、絵画の表現にはどのような変化が現れるのだろうか。
ここでは特に、「視認性」という観点から作品を鑑賞、また上記の問題について検証してみようと思う。
まずは、ピクセレート化する前の『夜のカフェテラス』にもう一度着目してみよう。
画面内のモチーフは概ね、「カフェテラス」「夜空」「テラス前の往来」に大別できる。
カフェテラスは「黄色」だ。店の大きなガラス窓からは煌々と黄色い光があふれ、店内の客こそ見えないが賑わっているらしい雰囲気が伝わってくる。テーブルが並び、ウェイターらしき人物が確認できるテラス席の床は鮮やかなオレンジに彩られ、これも夜の町にまぶしい。
一方、夜空は「青色」だ。ペールブルーから濃紺まで入り交じるグラデーションを帯びながら、こちらも淡い黄色や白の星を瞬かせている。
テラス前の往来は、石畳の凹凸が、これも黄色の光を静かに反射しながら、濃紺に染まる画面の後方に延びる。
こうしたモチーフそれぞれの色は画面内で調和し、引きで見れば「黄色」と「青」のコントラストの美しさが視線を集める作品となっている。
これらのモチーフひとつひとつに目をやると、一見すれば「青」、「黄色」の2色が画面全体の支配的な色になっているように見えていても、実は細部に至るまで繊細で複雑な書き込みがされていることに気がつくだろう。
また、モチーフの筆遣いを見ても、ゴッホらしい、まるで彫刻刀で削り出した彫り跡のような一種荒々しくみえる筆遣いのおかげで、それぞれの輪郭はくっきりと鮮明に浮かび上がっている。
こうした深みのある色彩とタッチにより、アルルの地の、ガス灯またたくテラス席と往来の雰囲気をしっかりと伝える視認性を生み出している
と言えるだろう。ここで下の画像をもう一度見てみよう。ドット絵化したことで視認性はどのように変化したのだろうか。
まず、はっきりと分かるのはモチーフの輪郭線が省略されていることだ。無論50×50pxのキャンバスには原画の膨大な情報量は収まりきらず、色数もかなりふるい落とされている。このように具体的な輪郭線が省略されたことで、抽象的なモザイク画のように見える。
したがってオリジナルにあるような、モチーフの明確な形状は見て取ることができない。このドット絵だけでは、元の絵が『夜のカフェテラス』だと認識することはかなり難しいだろう。
では、ピクセレート化によりこの絵の視認性は失われてしまったのだろうか。
確かに、モチーフを判別できない、という点では視認性が低下したと言えるだろう。
しかし色彩について再び焦点を当ててみると、単純化はされていながらもその複雑性は失われていない。
無論、色の再現性は画像を読み込むツールにも依拠するところはあるが、それでも同じ「黄色」や「青色」の中にも、実は各セルごとに異なる色味が使用されていることが見て取れる。
また画面下部、石畳の部分においては、ひとつとして同じ色は現れていない。全く異なる色味が隣接することで、味わいが生まれている。
石畳の部分
検証の結論として、ドット絵・低ピクセル化によってモチーフの具体性は失われる。しかし、それゆえに「これは何の絵なのだろう」と探究心を刺激されながら鑑賞する体験が提供され、鑑賞者の脳内で想像力を駆使し、様々なイメージが生成されるという意味ではむしろ原画を眺める以上に具体的概念が与えられていると言えるだろう。
また、色使いを見ても、原画を一瞥しただけでは漠然と「青」「黄」として認識されるだけの画面が、複数の色によって構成され、それが奥深さを醸し出していることに気づかされる。
したがって、「ドット絵は原画以上に優れる」とは言わないものの、原画に対する新しい気づきと鑑賞体験を与えるという可能性が見出される。
そうした観点から、ドット絵と原画、両方をより楽しむことにもつながるだろう。
参考文献 最終閲覧:21.Sept.9th
Google Arts&Culture
詩の内容は以下の通り。
L’été passe.
L’automne vient.
L’automne blue,
seul,
Elle vient silencieusement.
Elle pleure,
mais ses larmes deviennent des fruits.
夏は過ぎゆく。
<秋>が訪れる。
青く静かな<秋>、
彼女は静謐な足取りでやってくる。
彼女は泣く、
その涙は実を結ぶ。
YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCNDgEV2egqiMYN9ICYljDkw
Twitter:@Peridot2520
Pieloil-"Pixel"と"oil"のかばん語。油絵とピクセルアートの融合を指す。原画として描いたデジタル油絵の画像をピクセルアート作成ツールで読み込み、ドット絵に変換することで制作する。油絵ならではの複雑な色彩と、ドット絵にすることで生まれる画像の荒さ=「曖昧さ」両方の特徴を持つ。また、原画をそのまま変換させるため、「既製品から生み出す作品」、レディ・メイド的試みでもある。
製作の意義:
作者Peridot2520はアート製作自体初めてで、特にドット絵に興味を抱いてアート業界に入ったものの、すでに「ドット絵師」という言葉の存在が証明するようにpixelartの界隈には「極めている人」が多く、新参者の従来的手法による参入が難しいと考えた。
そこで、「何か新しい手法は生み出せないだろうか?」と考案したものが上記のPixeloilである。
(Pixeloil 1「うつむく少女 Aパターン」
※本記事では、ゲームの内容に触れる部分がございます。 また、各作品はオリジナルの創作物(一次創作物)からのインスピレーションを受けて制作しておりますが、キャラクターデザイン等をコピーしたものではございません。一次創作物、また関係者とは全く関係ございません。 ※This artic...