2021年9月16日木曜日

オリジナル個展「COTEN」開催のお知らせ

 


個展=個人の展覧会。

孤展=ひとりでやる展覧会。

COTEN=コミュニケーション+展覧会。

筆者が現在追及している、ピクセルアートの新しいスタイル「Pixeloil」を紹介する、ワンマン展示。「Communication」と「Tenrankai」を融合させ、オンラインのVRスペースという場で作品を展示すると同時に、訪問者との交流を深める機会とする。なお「展覧会」とはいいながら、常設展示的のように恒久的な展示とする。


ーー開催の理由は?
作者Peridot2520が現在追究している「ピクセルアートの生活空間における導入」をテーマに、これまでの作品を紹介するため。作者は「Pixeloil」と名付け、「油絵のような質感を持つドット絵」を制作し、いわゆる伝統的で「格式の高い」イメージのある絵画手法と、電子ゲームなどで使用されることから現代的かつカジュアルなイメージをもつドット絵を融合させることで「落ち着いた空間に飾りたくなるドット絵」を目指している。


ーーなぜVRなのか?
上記でも述べたように「生活空間にピクセルアートを導入する」というイメージを展示によって伝えるほか、資金的、時間的、空間的制約を受けにくい技術であること、さらにVR/ARであれば現実世界にデジタルアートを取り込むことも簡単になることからVRを選んだ。

ーー展覧会後の展望
かっちりとした場ではなく、雑談でもするようにカジュアルに話し合える場にする予定だが、具体的には「Pixeloilについての感想」を聞き出すことを目的とし、聞き出した情報を今後の製作の参考としたい。


目下鋭意制作中

詳細は後日追記予定


オリジナル個展「COTEN」とVRスペース開発記① VRで個展開催をするメリット

COTEN 開催のお知らせ



個展=個人の展覧会。

孤展=ひとりでやる展覧会。

COTEN=コミュニケーション+展覧会。

VRスペースを用い、資金、場所、時間といった制約に縛られず訪問者とのコミュニケーションの機会を得る。

「資金なし、場所なし、人脈なし」の三重苦をクリアするために

この記事では、上で紹介した筆者独自の個展となる「COTEN」を例に、VRで自分の作品を展示することのメリットについて紹介する。

「絵をもっと知ってもらうためには?」ー個展を開くことに関して

どの作家も直面する問題だろうが、自分の絵を「売る」ためにはまず知名度を上げなくてはならない。SNSや自分のwebサイトで宣伝することも重要だが、知名度アップの方法でより有効なのは、「ギャラリーに売り込むこと」と「個展を開催すること」だろう。

しかし、この二つは以下の点でやや敷居が高い。

・資金が必要:ギャラリーではスペースの賃貸料や出展料がかかる場合もあり、またフライヤーなどの宣伝費、展示のための額縁・機材のレンタル・購入費、物理的な作品であれば配送費、さらにスタッフを雇う場合は人件費など、導入するヒトとモノの規模にもよるが最低でも数万〜数十万円必要となる。

・場所が必要:今回のコロナ禍ではとりわけそうであるように、ギャラリーは必ずしも希望する場所を確保できるとは限らない。また、時間も重要なポイントで、開催時期を前もって決定し、逆算してスペースを予約して押さえておかなければならない。作品が季節感のあるものならば、その時節に合わせて確保が必要となる。

・人脈が必要:ギャラリーへの売り込みも、個展開催も、いわゆる「コネ」があれば会場の確保から展示、さらには宣伝等についても比較的クリアしやすいだろう。しかし、自分ひとりで搬送から展示、また片付けに至るまで行うとしても、効果的かつ魅力的なインスタレーションのためには、アートディレクターや学芸員など専門家の力を借りることが必要となってくる。

また、展示だけでなく物販も行う場合はショップスタッフの人件費捻出も加味しなければならない。


このように、個展は文字通り「個人の展覧会」とはいいながら、要求される要素と手間は膨大なものとなり、特にアート業界に入ったばかりのアマチュアアーティストなら手が出しにくいものとなってしまう。


VRで展示するメリット

そこで、「なんとか1人で、資金や手間をかけずに個展・展示会を行うことは出来ないだろうか?」と考え出したのが、冒頭でも触れたVRによる展覧会である。昨今、ゲームやオンラインショップなど様々な場所で活躍しているVRという技術は、最新技術ということもあり一見導入の敷居が高く見える。しかし、実際には素人でもクオリティの高いスペースを創り出すことが可能なうえ、ポイントによっては実際のギャラリーにおける展示より魅力的な演出も叶えられる。
特にデジタルコンテンツを制作している作家であれば、スペース内にデータをインポートするだけで展示ができ、なおかつデジタル作品ならではの特性も十分に活かすことができるだろう。

・資金がかからない:まず、VRは物理的なスペースを占有するわけではないため、会場の賃料がほとんどかからない。VRの導入方法には、Unityなどのソフトウェアを使用することもあるが、ブラウザ上で動作するものもある。しかも、いくつかのサービスは無料で自分のスペースを作成・公開可能である。筆者の使用した「Vectary」は、公開するには有料プランへの加入が求められるが、月額およそ¥1200(12USD)とかなり格安だ。

また、作品を自分のPCなどから直接アップロードするだけなので配送費も必要ない。
人件費については、もちろんアートディレクターらとチームを組んで仕事をすることも可能ないっぽう、作家自身が展示や販売を行うのであればかなり抑えられるだろう。

・場所の確保が簡単:VRは、いつでも思いついたときにすぐスペースの創作や作品の設置作業を始めることができる。また、物理的な制約も受けないため、メインの作品を巨大にしたり、訪問者がゆったりと鑑賞するための休憩スペースなども自由に設置が可能だ。


・時間の制約がない:上記のように、いつでも好きなときに実施できることもVR個展の魅力のひとつだ。作品に季節感があるものであってもすぐ会場にインポートでき、また閉めるときもスペースをクリックひとつで削除や非公開にすることができる。
運営において無駄な時間と手間を省きつつ、かけたいところに好きなだけ時間をかけられるのだ。

・作家ひとりで会場のデザインからインスタレーションまで出来る
VRというと、特に馴染みのない人にとっては「難しそう」というイメージがあるかもしれない。だが、実際の操作はクリックまたはタップのみ、マウスひとつで完結できるものがほとんどだ。まるでドールハウスで好きな家具を置き、模様替えするような感覚で自分の作品や家具などのオブジェクトを配置することができる。
まさに自分だけのセンスあふれる空間ができるので、作り込みにこだわる人にとってはとても楽しい作業なのではないだろうか。
3Dの空間上に、絵や家具を浮かせることができる


また、上でも触れたように物理的な制約がないので、作品を巨大化・縮小はもちろん、宙に浮かせてシュール感・未来感あるインスタレーションが可能だ。これは現実の世界では実現できない、魅力的な演出である。

以下のリンクは開発中の「COTEN」会場を、スマホやタブレットなどの端末で鑑賞できるよう、AR(拡張現実)化したもの。ARに接続する環境をお持ちであれば、ぜひご覧いただきたい。


また、こちらは別のVRスペースとして制作した、拙作"Chanson D'automune"展示の画像データ。デコレーションとして、シャンデリアのようにバラの花束を上から下げたり、果物のオブジェクトを宙に浮かせたりしている。


以上、COTENとVRスペース開発記①として「VRで展覧会を開催するメリット」について紹介した。次回以降の記事ではさらに筆者の使用している「Vectary」の使い方をもう少し詳しく紹介しながら、COTENの中身をお見せしたいと思う。

参考文献一覧 最終閲覧:21.9.17.

「展示会出展にかかる費用はどのくらい?出展料・ブース装飾費用の相場とコスト調整法を解説!」株式会社フレッシュタウン, 2021.9.16. https://www.freshtown.co.jp/useful_info/exhibition-cost/

シンプルな疑問。個展ってぜんぶ自費なの?おもな費用はどういうもの?一瀬大智、トロイの絵筆、2021.1.18. https://art-daichi.com/soloexcost/



2021年9月9日木曜日

ピクセレートで遊んでみる② 拙作Chanson D'automneで探る具象と概念の境界

 前回(ピクセレートで遊んでみる①)に引き続き、具象画のピクセレート化について議論する。

さて、まずはこちらの絵を見て欲しい。


上はとある画像をピクセレート化したものだ。概ね黄色〜オレンジのドットで構成された画像だが、いったい何を表したものか、分かるだろうか。
まるで、オレンジ色の十字架のように見えるこちらの画像だが、あなたの目にはどのように映っただろうか?

続いてはこちら。


ここまでのピクセル数になると、大体の形が見えてくるはずだ。いかにもドット絵らしいセルの形状を保ちながら、果物の輪切りと、何らかの植物らしきシルエットが確認できる。

これら2点の絵は、どちらも拙作"Chanson D'automne"より"Bouquet D'e'te'"をピクセレート化したものだ。

"Bouquet D'e'te'"
前回の記事では、ドット絵化することで与えられる、具体から抽象の変化と視認性の変化について論じた。今回は同じくピクセレート化した画像から、具象と概念(concept)の境界線を探る。我々の認識はどの段階で、具象物を概念として捉えるのだろうか?

①具体的イメージから捉える概念

さて、もう一度拙作を見て欲しい。


並ぶモチーフはオレンジとレモンの輪切り、果物、2本のセージだ。これを眺めたとき、あなたの頭の中には、これまで見たことのあるドライオレンジやハーブの具体的なイメージが思い浮かぶことだろう。筆者も同様に、リアルな像を求めつつ感性にしたがって描いたのだが、これには実物のモデルは存在しない。


実在のモデルなしにイメージだけで絵を描いた経験があれば誰でも、この一種矛盾した事実に直面するはずだ。あなたの脳内には確かに、これまで見たことのある実物を思い浮かべているが、キャンバスに現れるそれは現実のもののいずれとも一致しない。
つまりは、自己の内面にある「概念」をキャンバス上に構成しているのだ。
また、これを鑑賞する側もまた、自身の概念を無意識に引き出し、それと照らし合わせて鑑賞している。
ごく自然かつ、当たり前に行われる創作と鑑賞という行為だが、そこにはあらゆるイメージから特徴を引き出し、整理し、ひとつのイメージに引き結ぶという高度な脳の機能が働いている。
すなわち、具象画を描く時点ですでに我々は概念に触れている。

②コンセプチュアル・アートの概要

さて、拙作の説明に入る前に、アート界隈における「概念」、つまり「コンセプチュアル・アート」と呼ばれるものの概要を整理しておこう。
そもそも「コンセプチュアル・アート」という用語を生んだのは、1961年のヘンリー・フリントが初めとされる(沢山)。前衛芸術から派生したこのスタイルを実際にアート作品として確立させたのが、「泉」などの作品で知られるマルセル・デュシャンである。「概念芸術」と訳されるとおり、概念や観念そのもの(=concept)をアートだとしたものがコンセプチュアル・アートと称される。
アートペディア(2020年5月)』によれば、コンセプチュアル・アートは鑑賞者が事物を「これはアートだ」という観念を持って鑑賞することで成り立つものだとされる。そのため、従来、作家自身が自らの手で作品を生み出す必要はなくなり、「既にあるもの」=既製品をそのままを提示するだけで「アート」とするスタイルが生まれた。デュシャンは既製品に鑑賞者の興味を引くようなタイトルを付けることで、鑑賞体験が生まれると述べている。
I was interested in ideas—not merely in visual products.(私はアイディアにこそ興味を抱いたのだー「目に見える」作品ではなくね。) 
 ーーデュシャン、MoMA Learningより 


③ Chanson D'automneで探る具象と概念の境界

以上から、コンセプチュアル・アートの定義としては

・既製品を使用していること

・鑑賞者の観念、概念を伴うこと

だと言える。以下からはそれを念頭に起きながら、拙作を紹介・解説していく。


さて、再度こちらの絵を見て欲しい。


導入で述べたように、これはオレンジとセージ、そしてベリーをドット絵によって表した作品だ。前回の記事で論じたように、ドット絵にすることで具体的な輪郭線が失われ、モチーフは抽象化されている。まずは「抽象画」として機能しているということだ。

次に、これはコンセプチュアル・アートとしても存在している。上記の定義に照らし合わせれば、

・既製品を使用していること:筆者の作品"Bouquet D'e'te'"をピクセレート化フィルターにかけ、いわゆるドット絵に作ったものである。ここで、既製品をアートとして提示するというプロセスが完了している。

・鑑賞者の観念、概念を伴うこと:抽象化され、モチーフのシルエットは判別できない作品に『オレンジと2本のセージ、ベリー』という表題を付けることで、各鑑賞者の持ちうる「オレンジ」や「ドライセージ」、「ベリー」という概念を引き出す。実際には「複数のセルの羅列」であるこの画像を、鑑賞者は「これはオレンジなどを描いたアートである」という観念を持って鑑賞することになる。


また、そもそも各鑑賞者の抱くイメージは全て異なり、テレパシーでもなければ完全に同一のイメージを持つことは不可能だ。オレンジの絵ひとつ取っても鑑賞者の数だけ多面的に、曖昧になる様を、シルエットが不鮮明なドット絵というかたちで表した。


結論:ドット絵化で得られる具象と概念の境界とは?

冒頭の「我々の認識はどの段階で、具象物を概念として捉えるのだろうか?」という疑問に答えを与えるならば、「鑑賞した時点で概念・観念を通して作品を捉えるため、実際にはほぼ無段階である」ということになろう。もしくは、かなり緩やかに、明白な境界などなく実物と概念の間を行き来しうるものだ、とも言える。

また、ある作品をドット絵化することは、このように鑑賞者の概念を引き出す道具、ないしは演出になるという可能性も見えてくる。前回述べた「抽象化」という機能に加え、「概念化」という機能もまたドット絵はもたらすといえるだろう。

あなたには、どんなオレンジが見えるだろうか?


参考文献 最終閲覧:21/9/10
沢山、2021. 「コンセプチュアル・アート」artscape、2021.9.1

ピクセレートで遊んでみる① ゴッホの『夜のカフェテラス』ドット絵化で変化する絵画の視認性

 さて、こちらは何の画像か、お分かりだろうか。



青い背景に黄色、黄土色、白、緑など、様々な色がちりばめられた、抽象的なモザイク画。


実はこれ、ゴッホの『夜のカフェテラス(Terrasse du café le soir)』を50×50pxのドット絵キャンバスに落とし込んだもの(画像は21×24)だ。

px数を制限することで、画面の奥行きは平面的になり、各モチーフの輪郭線が省略され、まるでモザイク画のようになる。

しかし一方で一見全体が青く見える夜空や、カフェテラスの黄色い光のなかに配置された複雑な色使いは、ドット絵でも確認できる。


・ゴッホ『夜のカフェテラス』鑑賞:繊細な色使いと力強い筆遣いのもたらす視認性

では、ピクセレート化することで、絵画の表現にはどのような変化が現れるのだろうか。

ここでは特に、「視認性」という観点から作品を鑑賞、また上記の問題について検証してみようと思う。

(Google Arts&Culture)


まずは、ピクセレート化する前の『夜のカフェテラス』にもう一度着目してみよう。

画面内のモチーフは概ね、「カフェテラス」「夜空」「テラス前の往来」に大別できる。

カフェテラスは「黄色」だ。店の大きなガラス窓からは煌々と黄色い光があふれ、店内の客こそ見えないが賑わっているらしい雰囲気が伝わってくる。テーブルが並び、ウェイターらしき人物が確認できるテラス席の床は鮮やかなオレンジに彩られ、これも夜の町にまぶしい。

一方、夜空は「青色」だ。ペールブルーから濃紺まで入り交じるグラデーションを帯びながら、こちらも淡い黄色や白の星を瞬かせている。

テラス前の往来は、石畳の凹凸が、これも黄色の光を静かに反射しながら、濃紺に染まる画面の後方に延びる。

こうしたモチーフそれぞれの色は画面内で調和し、引きで見れば「黄色」「青」のコントラストの美しさが視線を集める作品となっている。

これらのモチーフひとつひとつに目をやると、一見すれば「青」、「黄色」の2色が画面全体の支配的な色になっているように見えていても、実は細部に至るまで繊細で複雑な書き込みがされていることに気がつくだろう。


また、モチーフの筆遣いを見ても、ゴッホらしい、まるで彫刻刀で削り出した彫り跡のような一種荒々しくみえる筆遣いのおかげで、それぞれの輪郭はくっきりと鮮明に浮かび上がっている。

こうした深みのある色彩とタッチにより、アルルの地の、ガス灯またたくテラス席と往来の雰囲気をしっかりと伝える視認性を生み出している

と言えるだろう。

・低ピクセル数化によって変化する「視認性」

ここで下の画像をもう一度見てみよう。ドット絵化したことで視認性はどのように変化したのだろうか。

「ドット絵」化された『夜のカフェテラス』

まず、はっきりと分かるのはモチーフの輪郭線が省略されていることだ。無論50×50pxのキャンバスには原画の膨大な情報量は収まりきらず、色数もかなりふるい落とされている。このように具体的な輪郭線が省略されたことで、抽象的なモザイク画のように見える。


「テラス」の部分

「夜空」の部分

したがってオリジナルにあるような、モチーフの明確な形状は見て取ることができない。このドット絵だけでは、元の絵が『夜のカフェテラス』だと認識することはかなり難しいだろう。

では、ピクセレート化によりこの絵の視認性は失われてしまったのだろうか。

確かに、モチーフを判別できない、という点では視認性が低下したと言えるだろう。

しかし色彩について再び焦点を当ててみると、単純化はされていながらもその複雑性は失われていない。

無論、色の再現性は画像を読み込むツールにも依拠するところはあるが、それでも同じ「黄色」や「青色」の中にも、実は各セルごとに異なる色味が使用されていることが見て取れる。

また画面下部、石畳の部分においては、ひとつとして同じ色は現れていない。全く異なる色味が隣接することで、味わいが生まれている。

石畳の部分

検証の結論として、ドット絵・低ピクセル化によってモチーフの具体性は失われる。しかし、それゆえに「これは何の絵なのだろう」と探究心を刺激されながら鑑賞する体験が提供され、鑑賞者の脳内で想像力を駆使し、様々なイメージが生成されるという意味ではむしろ原画を眺める以上に具体的概念が与えられていると言えるだろう。

また、色使いを見ても、原画を一瞥しただけでは漠然と「青」「黄」として認識されるだけの画面が、複数の色によって構成され、それが奥深さを醸し出していることに気づかされる。

したがって、「ドット絵は原画以上に優れる」とは言わないものの、原画に対する新しい気づきと鑑賞体験を与えるという可能性が見出される。

そうした観点から、ドット絵と原画、両方をより楽しむことにもつながるだろう。

参考文献 最終閲覧:21.Sept.9th

Google Arts&Culture 

Terrace of a café at night Place du Forum by Vincent Van Gogh



Wikipedia 

2021年9月3日金曜日

Chanson D'automne 言葉と絵画と音楽と

 


(実際は長方形)

「晩夏」と「秋」をテーマにした連作。ドライフラワーブーケを思わせる、花や果物といった静物の組み合わせに、オリジナルフランス語詩とBGMを添えた。

詩の内容は以下の通り。

L’été passe.

L’automne vient.

L’automne blue,

seul,

Elle vient silencieusement.


Elle pleure,

mais ses larmes deviennent des fruits.

夏は過ぎゆく。

<秋>が訪れる。

青く静かな<秋>、

彼女は静謐な足取りでやってくる。

彼女は泣く、

その涙は実を結ぶ。

YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCNDgEV2egqiMYN9ICYljDkw

Twitter:@Peridot2520

Shop:https://peridot2520.stores.jp

2021年9月1日水曜日

Pixeloilー油絵からドット絵へ

Pixeloil(ピクセロイル)

 Pieloil-"Pixel"と"oil"のかばん語。油絵とピクセルアートの融合を指す。原画として描いたデジタル油絵の画像をピクセルアート作成ツールで読み込み、ドット絵に変換することで制作する。油絵ならではの複雑な色彩と、ドット絵にすることで生まれる画像の荒さ=「曖昧さ」両方の特徴を持つ。また、原画をそのまま変換させるため、「既製品から生み出す作品」、レディ・メイド的試みでもある。


製作の意義:

作者Peridot2520はアート製作自体初めてで、特にドット絵に興味を抱いてアート業界に入ったものの、すでに「ドット絵師」という言葉の存在が証明するようにpixelartの界隈には「極めている人」が多く、新参者の従来的手法による参入が難しいと考えた。

 そこで、「何か新しい手法は生み出せないだろうか?」と考案したものが上記のPixeloilである。



(Pixeloil 1「うつむく少女 Aパターン」

原画

ドット絵


Pixeloil 1「うつむく少女 Bパターン」
原画


ドット絵
いずれも原画の油絵ならではの一種「のっぺり」とした質感、絵の具の重たさを感じさせるどっしりとした質量のある表現が、ドット絵に変換することで輪郭が曖昧となり、どこかやんわりとしたのが分かるだろうか。それでいて油絵特有の筆遣いや絵の具の濃淡がドット絵でも残されている。

Pixeloil 2 「Plants」 シリーズ


Peridot2520 Twitter: @Peridot2520

Shop: https://peridot2520.stores.jp





ホラーゲームの女の子を題材とした油絵とPixeloil 恐怖と少女の組み合わせというグロテスク感

※本記事では、ゲームの内容に触れる部分がございます。 また、各作品はオリジナルの創作物(一次創作物)からのインスピレーションを受けて制作しておりますが、キャラクターデザイン等をコピーしたものではございません。一次創作物、また関係者とは全く関係ございません。 ※This artic...